超ジュラルミン

ジュラルミンの発明以後,さらに高強度を目指した超ジュラルミンの研究開発が世界各国で進められた。当時の超ジュラルミンはジュラルミンの強度レベルを超える合金は合金系を問わずどれも超ジュラルミンと呼ばれた。合金開発の基礎となる状態図も整備され,各種の合金が市場の要求に応えて開発されるようになった。ここでは アルコアの開発した24S (2024) が超ジュラルミンの主流になるまでの合金開発およびGPゾーンの発見を紹介する。。(出典等の詳細は「資料室」,軽金属「超ジュラルミンとDC-3」の文献参照のこと)

ジュラルミンから超ジュラルミンへ

イギリス National Physical Laboratory(NPL)

図 1 W. Rosenhainと彼の執筆した物理冶金学の教科書 の標題紙 (Rosenhain の写真は NPL のご好意によ り NPL の HP より転載)
図 1 W. Rosenhainと彼の執筆した物理冶金学の教科書 の標題紙 (Rosenhain の写真は NPL のご好意によ り NPL の HP より転載)

Wilmと同様にAlCuMn合金を研究していたWalter Rosenhain (1875–1934, 図 1)は 1875 年, Berlin で生まれ, 5 歳のときにオーストラリアに移住した。メルボルン大学 を卒業後,ケンブリッジ大学の J. A. Ewing 教授の下で研究 した。1906年イギリスTeddingtonにあったNational Physical Laboratory (NPL) の Metallurgy and Metallurgical Chemistry の 初代の部長になり,1931 年までこのポストにいて,アルミ ニウム合金の発展に大きく貢献した。特に耐熱合金である Y 合金の発明者として知られている。1934 年 58 歳で亡くなった。

 

彼は 1914 年に有名な物理冶金学の教科書(図 1)を著 している。この本ではまずなぜ Physical Metallurgy という 用語を用いるのかという説明から始まっている。当時は状態図と機械的性質,金属組織,それらの関係が精力的に研究さ れていたことがわかる。彼の率いた部門は,1910~1930 年 に大きな成果を上げ,その後のアルミニウム合金の研究に 大きな影響を与えた。ここでは 1921 年 8 月イギリス機械学 会 の Eleventh Report to the Alloys Research Committee on Some Alloys of Aluminium (Light Alloys) (図 2)で報告され,そ の後の研究に大きな影響を与えた 3 つの合金について述べ る。この報告書は第一次世界大戦中から戦後にかけての NPL の研究成果をまとめたものである。

1)E合金

図 2 第 11 回アルミニウム合金に関する合金研究委員会 報告書標題紙
図 2 第 11 回アルミニウム合金に関する合金研究委員会 報告書標題紙

 

Rosenhain の前述の著書(第 1 版)では,アルミニウム合 金に関しては Al-CuAl-Zn 合金に関して状態図があるくら いで少ないが,Al-Zn 合金の状態図についてはかなり詳細に 述べている。それは 1911 年 Rosenhain と S. L. Archbutt とが J. Inst. Met. に発表したものを引用していることによる。

 

その後,彼は第一次世界大戦中から戦後にかけて,MgMn を添加した Al-Zn-Cu 合金に焦点を当てて研究を行い,そ れを上記のイギリス機械学会合金研究委員会への Eleventh Report で報告している。その報告書で Al-20%Zn-2.5%Cu-0.5%Mg-0.5%Mn の組成を有する E 合金 (Zinc Duralumin)は 高い強度を示すことを明らかにした。彼らの報告書のデータ をもとに合金成分と製造条件と強度の関係をまとめたものを表 1に示す。

 

 

図 3 NPL で使用されていた孔型圧延機(溝付き圧延機)。ガスバーナでロールを予加熱(右)
図 3 NPL で使用されていた孔型圧延機(溝付き圧延機)。ガスバーナでロールを予加熱(右)

図 3 は押出棒の熱間圧延に用いた当時の孔型 圧延機(溝付き圧延機)である 。この孔型圧延機で熱間圧 延した E 合金を 400°C で焼入れ後室温にて 5日間時効させる と 630 MPa の引張強さを示す。この値はこの報告書で最高の 強度であると書かれている。Alcoa の R. S. Archer は「この合 金の 1 mm(18 Gauge)板材は引張強さ 600 MPa,伸び 10% に 到達する可能性を秘めていたが,この系の合金は重大な弱点を有していた。まず比重が大きいこと,製造が困難なこと,腐食しやすいこと,引張強さよりかなり小さな応力が負荷さ れ続くと粒界割れ感受性,すなわち応力腐食割れ性が高くな ることがある。しかし,この合金の応力腐食割れは Mn 添加 で大きく改善された」と述べている。

2)Y合金

この合金についても同じく Eleventh Report で報告された。 その報告書のなかに軽合金の高温強度についてまとめたも のがあり,そこに Y 合金が記載されている。Y 合金とい うのは試験片番号に付したアルファベットをそのまま用い たもので,特に意味がない。この合金の組成は Al-4%Cu-1.5%Mg-2%Ni である。この合金には後述する 24S と同様に マグネシウムが 1.5% 添加されていることが興味深い。金型 に鋳込んだ材料を 480°C から焼入れして 4 日間室温時効させた材料の室温強度は 374 MPa,伸びは24%であったが,圧延 材では 433 MPa,伸びが 15~18% 得られることがわかった。

Alcoa でもこの合金を追試したところ,鍛造品を 520°C で 24 時間加熱後 1 週間時効したときの引張強さは 427 MPa,伸び は 23%,150°C で 16 時間時効すると引張強さは 448 MPa,伸 びは 18% を示した。この合金は 260~370°C での高温強度 がジュラルミンや 14S 系超ジュラルミン(後述)より優れて いるためにイギリスではピストン用合金として利用された。 切削性はすばらしいが,鍛造性は劣るために生産性が悪いの が問題であった。

3)Al-Mg-Si系合金

NPL のD. Hansen とMarie L. V. Gayler は,Al-Mg2Si の準二元系の状態図を作り,Mg2Si はアルミニウムに固溶するが,これも高温から低温になるにつれて著しく固溶度が減少することを上記のEleventh Report で報告した。1922 年,Gayler 女史はAl-CuAl2-Mg2Si の準三元系合金の状態図を明らかにし,ジュラルミンの硬化にはCuAl2 とMg2Si の両方の析出硬化が寄与すると考えた。さらに1923 年にはAl-Cu-Mg系三元合金状態図を研究し,アルミニウム固溶体と平衡するのはCuAl2, Al6Mg4Cu, Al3Mg2 であることを報告した。Al6Mg4Cuについては1919 年ドイツのVogel がすでに発見していたが,これを再確認したとのことである。

 

なお,Al-Mg2Si 準二元系状態図の研究とMg2Si を含むアルミニウム合金の時効については,イギリスで研究され発表されたが,それを実用合金として利用しようとしたのは,スイスのGiulini 社で,すでに1916 年Aludur という名称で,焼入れ焼戻しにより析出強化させる合金として特許(SwissPatents No.85606)を取得している。Aludur 533: Al-1.3%Si-0.7%Mg-0.4%Fe,砂型鋳物熱処理後,引張強さ,250~350 MPa,伸び8~18%16)その後スイスのAIAGによってAldrey という名称の合金が導電率の高いアルミニウム合金として,特許が成立した。このAldrey は焼入れしてから線引きをして焼戻しすると強度がさらに向上し導電率も高いので送電線に用いた。

Aldrey: Al-0.55%Si-0.43%Mg,熱処理後,引張強さ260~300 MPa,耐力300~340 MPa,伸び7~9%

アメリカ標準局(U.S. Bureau of Standards)

1)Merica

図4 西村教授が描いた Merica と Jeffries の似顔絵
図4 西村教授が描いた Merica と Jeffries の似顔絵

アメリカ政府も合金の研究開発を支援するために,1913年,アメリカ標準局は P. D. Merica (図 4 左)を長とする 非鉄金属研究班を組織し冶金専門家を投入した。彼はベルリ ン大学で学位を取得したばかりであった。1919 年アメリ カ鉱山冶金学会(AIME)の講演会でジュラルミンに関する 報告を行い,1921 年 AIME の会誌にも発表された 。そ の発表内容を京都大学西村教授の「随筆・軽合金史(其三)」から引 用して紹介する。「Merica らは,Cu 0.04~3.74%, Mg 0~ 3.5% を含む 16 種の試料を造塊,熱間圧延,冷間圧延,焼鈍により 0.8 mm の 板を作り,この板を熱処理して引張試験と硬度を測定した。478〜525°C から焼入れして 20°C および100°Cで時効した。最も強度が高い成分はCu 3.18%,Mg 0.46%, Fe 0.34%, Si 0.24% であった。引張強さが 340〜350 MPaで,ジュラルミンより強度が低いが,これは Cu が少なく,Mn が含まれないためと考えられた。その他,Cu 3.74%, Mg 1.08%, Fe 0.52%, Si 0.3% という合金を 515°C から焼入れして 125°C で 14 日間時効すると引張強さ 440 MPa,伸び 11% を得ている。この成分はその後開発された超ジュラルミンに近く,既にジュラルミンを超える材料が示唆されている。

 

幸田成康教授は編著「合金の析出」の第一章「時効硬化研究の歩み」のなかで,Merica の研究成果の優れた点を次のように述べている。第一に,Al-CuAl-Mg 二元系の状態図を決定し,時効硬化は合金の固溶限が温度低下に伴って減少するが相変化が原因で起こることをはっきりと認めたことである。第二に,500°C からの焼入れによって CuAl2 の析出が抑えられ,室温あるいは 100°C の時効で CuAl2 がコロイド状に分散したきわめて細かい粒子として析出することによって硬化が生じると考えたことである。すなわち焼入れして時効すると硬化を生じるという「析出硬化説」を提唱していることである。

 

西村教授も「この析出硬化説がもとになって時効硬化の現象が研究されてきたから,時効硬化に関する理論の第歩をここに画した意味で,Merica の業績は大切なものであ る」と評価している。しかしながら,西村教授は,「実際, CuAl2 のみを含むアルミニウム銅合金も,Mg2Si のみを含む アルミニウム合金も,どれも焼入れして常温では時効を余りしない。Mg2Si を含む合金などは全く示さないのである。これが両方の化合物を含んだときに,どうして常温で硬化が著しいのか不思議でならなかった」,また「アルミニウム,マ グネシウム,銅の三元合金になると,どうしてジュラルミンのように常温時効が進むのか,この疑問に応えるような研究はなかった」と述べている。

 

このように Merica の析出硬化説では高温時効には有効であったが,常温時効硬化については十分な説明を与えることができなかった。1920 年,W. Fraenkel は電気抵抗が常温時効とともに上昇することを明らかにした。この結果, 常温時効硬化については析出によるものならば,母相の濃度が低下し電気抵抗は減少すべきであるのに,実際は上昇するため,常温時効と高温時効は違うメカニズムで生じていることが認識され,いくつかの析出前硬化説が唱えられた。しかしなぜ硬化するかという機構についての説明は不十分であった。この頃,常温時効,人工時効,低温時効,高温時効という術語が固定化されてきた。

2)Alcoa

a) Alcoaの研究所設立

表 2 Alcoa の研究体制(1919 年)
表 2 Alcoa の研究体制(1919 年)

アメリカでも海軍は第一次世界大戦の開戦とともに硬式飛行船の開発に異常な興味を示し,Alcoa に生産を促した。大戦前のAlcoa は地金生産工程の研究開発に重点を置いていたので,画期的な加工製品の開発や,それを量産化する技術を持っていなかった。また,Alcoa の創始者の一人であるC. M. Hall が中央研究所の創設といった考え方を拒否していたので,実験設備はないに等しいかあっても原始的なものであり,実験ができるスタッフもいない状況だった。

 

1914年Hall が亡くなり,新しいアルミニウムの市場を開拓することを目指して体系的な研究計画を進める中央研究所を設立することとなり,1919 年Technical Department が設立され,その下にTechnical Direction Bureau とResearch Committee(その中にResearch Bureau)が設置された。その1919 年当時の研究開発組織を表2 に示す。Technical Direction Bureau の当初の目的は“better aluminum cheaper”であった。Research Bureau はHall がなくなる前から始めたプロジェクトを完了させることと同時にSales Department からはもっと直近の課題に貢献するよう要請されていた。

 

その一方で,Alcoa はACC(Aluminum Casting Company)の Lynite Laboratories を手に入れた。Lynite Laboratoriesは当時,アメリカでは最高級の非鉄金属の技術者を抱えており,特に同所の所長であった

Jeffries (注)は,研究から得られた知識やノウハウを体系化し文書化すること,そして冶金学的なプロセスを正確に書き記すことで技術者がそれを見れば再現できることが必要であると考えた。1920 年Lynite Laboratories はAlcoa のResearch Bureauと合併し,1930 年には,Technical Direction BureauとResearch Bureau は New Kensington に設立された ARL(Aluminum Research Laboratories, 1950年代, Alcoa Research Laboratoriesに改称)に統合された。ARLの基礎研究の成果は報告書,技術論文,本などの様々な形態で文書化された。研究者はそのような出版物を出すことが励みとなり信頼も得ることができた。

図 Z. Jeffries
図 Z. Jeffries

(注)Zay Jeffries(1888-1965) 65):1888年サウスダコタで生まれ。1909年サウスダコタ鉱山技術大学の機械工学を卒業後,クリーブランドのケース応用科学大学(現在Case Western Reserve 大学)の冶金学インストラクターとして採用された。その後クリーブランドでの新技術に関するコンサルタントになり,GEのタングステンランプの事業所やアルミニウム鋳造のACCで働いた。1920年Alcoaのコンサルタントになり,同時に一緒に研究するためミシガン大学からR. Archerを迎え入れ,1920年代のAlcoaの鋳造や鍛造でのアルミニウム合金研究を発展させた。彼の材料学に対する貢献としては金属の結晶粒径の測定法(ジェフリース法として知られている)と材料学的特性との関連,二次再結晶と介在物の関連,転位論の先駆けとなった「すべり干渉説」がある。その後,政府の多くの委員会で活動し,1945年にはGEの副社長となった。日本では日本金属学会のジェフリース賞でその名前はよく知られている。昭和26年,日本金属学会は博士の業績と日米間交流の尽力を評価して名誉員に推薦した。その折に100ドルの寄贈を受けた学会では,この寄付金を賞金として新進気鋭の研究者,技術者に奨学を主眼とする懸賞論文を募集して,昭和29年からジェフリース賞が出されるようになった。現在では賞牌がなくなったため終了している。なお,ジェフリース本人が冶金学者としての研究業績を報告している。

b) The Aluminum Industry の出版

図5 Alcoaの研究者が執筆したThe Aluminum Industry, Vol. 2 Aluminum Products and Their Fabrication の 標題紙
図5 Alcoaの研究者が執筆したThe Aluminum Industry, Vol. 2 Aluminum Products and Their Fabrication の 標題紙

出版物の一つに J. D. Edward, F. C. Frary, Z. Jeffries が編集した全 2 巻からなる 1930 年発行の The Aluminum Industry がある(図 5)。執筆者はすべて Alcoa の研究者である。Vol.1 Aluminum and Its Production, Vol. 2 Aluminum Products and Their Fabrication の 2 巻である。第 1 巻はアルミニウムの歴 史と,アルミナおよびアルミニウムの製錬が,第 2 巻はアル ミニウムとアルミニウム合金,その製造法をまとめている。

 

第 2 巻の第 3 章 Constitution and Structure of Aluminum Alloy System は Jeffries とともに ACC から Alcoa に移ってきた R. S. Archer が執筆した。合金系として以下の合金について形成さ れる化合物とともに状態図が示されている。実用的な合金系 の状態図についてはこの頃までにほとんどできていたものと考えられる。掲載されている合金系は以下の通りである。

Al-Cu, Al-Si, Al-Fe, Al-Mn, Al-Zn, Al-Mg, Al-Mg2Si, Al-Mg-Si, Al-Fe-Si, Al-Cu-Si, Al-Cu-Fe, Al-Cu-Mg,状態図は 示されていないが Al-Cu-Ni, Al-Cu-Zn

 

第 5 章 Commercial Alloys of Aluminum 同じく Archer が執 筆しているが,実用合金として掲載されているのは,鋳物合 金以外に展伸用合金として,次の 7 種類である。

Al-1.25%Mn(3S), Duralumin, 25S Alloy, Al-Mg-Si Alloys (51S), Super-Duralumin, Y Alloy (Wrought), “Alclad”Products

 

25S Alloy は Al-4.4%Cu-0.8%Si-0.75%Mn 合金で,1919〜1920 年頃 Alcoaで開発された。熱間加工性がよいのでプロ ペラなどの鍛造用合金として用いられた。51S も Al-1.0%Si-0.6%Mg 合金で同時期に Alcoa で開発され,鍛造品や押出 材,板材で使用された。いずれの合金も高温時効して使用された。Super-Duralumin としては C17S (Al-4.0%Cu-0.5%Mg-1.25%Si-0.5%Mn)と No.427 (Al-4.4%Cu-0.35%Mg-0.8%Si-0.75%Mn) が工業化された。C17S は 17S にけい素を添加した合金で,No.427 は 25S に Mg が添加された合金で,後述する14Sのことである。“Alclad” Products についても後述 する。この本の出版は,その後1949年Physical Metallurgy of Aluminum Alloys, 1967 年 Aluminum, Vol. 1–3, 1984 年 Aluminum: Properties and Physical Metallurgyに繋がっている。これらの出版物には Alcoa の研究や技術およびそれらの データが集大成されていて,かつ入門書として世界中で用いられている。

c) 17S

図 6 17S クラッド材の拡散層とその説明
図 6 17S クラッド材の拡散層とその説明

 

1916 年,Alcoa はアメリカ海軍からドイツが使用している 合金と同等かより高い強度の合金を求められていた。同じ頃,フラ

ンスで墜落したツェッペリン飛行船の桁の破片が海軍から Alcoa に送られてきた。これらの情報をもとに,Alcoa は引 張強さ 440 MPa,耐力 270 MPa を 有するジュラルミンと同様な合金 17S (Al-4.0%Cu-0.5%Mg- 0.5%Mn) を商品化した。

Alcoaは海軍の建造する飛行船Shenandoah 号のための 17S 合金圧延材を供給する義務を負っ た。1922 年末には,高強度合金板,年間 25,000 トンの生産 が可能となり,17S が主役となった 。1923 年秋に Alcoa の 祝賀行事としてShenandoah 号は New Kensington 工場の上空 を飛行した 。しかし,1925 年,この飛行船は嵐の中で 3 つに割れて墜落し,14 名が死亡するという悲劇が生じた 。 この事故の情報を受けて,Alcoa は飛行船の事故は金属が原 因で起こしたかどうか確認するためにすぐに事故現場に向 かい,残骸を確認して破壊点がすべて綺麗で腐食がないこ とを確かめた。これに対し,標準局や MIT 教授から粒界腐 食の嫌疑がかけられたため,Alcoa の試験部は同業他社に先 んじた高性能の試験装置を開発しその嫌疑を晴らすことと なった 。

さらに耐食性向上のため,1928 年,Alcoa の Aluminum Research Laboratories の Edgar H. Dix, Jr. に よ り 17S 板材に純アルミニウムを板厚の 2.2〜10% 表面に貼り付けた クラッド材が開発され,

Alclad と名付けた。図6 は Dix らの開発した Alclad 材の断面写真である。皮材の純アルミ ニウムと芯材の間に拡散層が形成されていることがわかる。 船などさらに厳しい環境下で使用するために,さらに適切 な塗装が施された。

d) Alcoa,超ジュラルミン14S発明

Alcoa は 17S について,ドイツからの過大なロイヤリティ 支払いの要求や過大な法廷費の支払いを嫌い,代替合金の開 発を研究者に要求した。研究者の方でもジュラルミンの強 度をさらに向上させたいという要求は当然起きてくる。その 最初は,1925 年の Alcoa の Archer と Jeffries の研究である。 彼らは,Si を 0.5% 以上添加して高温時効でジュラルミンより高い強度が得られることを報告している。

西村教授によれ ば超ジュラルミン(スーパー・ジュラルミン)という名称は 1927 年,アメリカ機械学会(ASME)の Cleveland の講演会で,Jeffries が引張強さ 370〜430 MPa の強力な アルミニウム合金ができ,これを超ジュラルミンという名 称で発表したのが最初と言われている 。

Alcoa は 1928 年, 14S (Al-4.4%Cu-0.4%Mg-0.9%Si-0.8%Mn)を開発した。焼 入れ焼戻し(T6 調質)で引張強さ 480 MPa,耐 力 410 MPa が得られたが,伸びが 13% と低いの で,板材としてよりも鍛造品で多く用いられた。当時,ケイ素を多く含有した超ジュラルミンを含ケイ素超ジュラル ミンと称していた。

e) Alcoa,超ジュラルミン24S発明

図 7 Alcoa の Alclad 24S-T3 を胴体のスキンに用いた DC-3 (http://www.boeing.com/history/products/dc-3.page)
図 7 Alcoa の Alclad 24S-T3 を胴体のスキンに用いた DC-3 (http://www.boeing.com/history/products/dc-3.page)

14S に対し,24S(Al-4.5%Cu-1.5%Mg-0.6%Mn)が Alcoa によって 1931 年開発された。ジュラルミンの Mg 量を 1.5% まで増加させたもので,含ケイ素超ジュラルミンが人工時効を必要とするのに対し,24S は室温時効だけでジュラルミンを超える強度に達する特徴がある。これを 24S 型超ジュラル ミンと称した。現在では超ジュラルミンというと 24S を指 すことが多い。

 

17S や 14S から 24S への生産は,マグネシウムを 1% 増加させただけだが,製造がより困難になる。この合金を製造するには,溶解,鋳造,圧延技術の進歩がかかせなかったと J. A. Nock, Jr. は述べている。Dix もまた板材の製造は非常に困 難であったが,第二次世界大戦中に高速で圧延できるように なったと述べている。押出性も非常に悪かったが,同じ く第二次世界大戦前の生産設備を 10 倍にして製造した。

 

24S-T3 は,代表値で引張強さ 480 MPa,耐力 340 MPaで,17S-T4 は引張強さ 430 MPa,耐力 270 MPaで,17S に比べ耐力が 20% 高い。T3 調質では圧延材や押出材を焼入れ後冷間加工を行うか,あるいは矯正や残留応力を最小限にするために 1.5〜 3% の引張加工をするが,このことで強度が向上する 。 この合金は強度が高いためすぐに 17S-T4 に取って代わった。そしてそのクラッド材 Alclad 24S-T3 は旅客機の胴体の材料としていまなお使われているが,その最初の飛行機が DC-3(図 7)である。

 

DC-3 は DC-2 に比して定員を 5 割増としながら,その運航 経費はわずか 3% ほどの増に過ぎなかった。それ以前のアメリカの航空旅客輸送は,旅客運賃収入だけでは必要なコストを賄えず,連邦政府の郵便輸送補助金を受けることで何とか成り立っていた。ところが DC-3 は,その収容力によって,自らの運賃収入だけでコストを賄うことができた。郵便補助金に頼る必要のない「飛ばせば儲かる飛行機」の出現は,航空輸送の発展において画期的なことであった。これはひとえに 24S 合金開発によるところが大きい。連合軍欧州総司令官であり,のちにアメリカ大統領となった D. D. Eisenhower は,第二次世界大戦の連合軍勝利に著しく寄与したのは「ダコタ(DC-3 の軍用輸送機バージョン)とジープとバズーカ砲である」と述べている。

ドイツ

1) Dürener Metallwerke A. G.

ドイツのDürener Metallwerke A. G.の主任技術者であった K. L. Meissner も 1930 年,イギリス金属学会で講演発表 し,論文名“The Effect of Artificial Ageing upon the Resistance of Super-Duralumin to Corrosion by Sea-Water”,“The Artificial Ageing of Duralumin and Super-Duralmin”としてイギリス 金 属学会誌に投稿している 。論文で Super-Duralumin が 出てくるのはこれが最初である 。Meissner の超ジュラ ル ミ ン(Al-4%Cu-0.5%Mg-0.8%Si-0.5%Mn)は,ジュラル ミンと比較してケイ素が多い。この合金の板材の焼入れ焼 戻し後の引張強さは 490 MPa 近くなる。Meissner は CuAl2 と Mg2Si の析出を組み合わせるとよく時効硬化すると考えてこ のような成分を選んだのではないかと考えられる。こうした 基礎研究をもとに,Dürener Metallwerke A. G. は超ジュラル ミン 681ZB (Al-4.2%Cu-0.9%Mg-0.6%Mn-0.5%Si) とその 強度を 10% 向上させた DM31(Al-4.2%Cu-1.2%Mg-1.2%Mn-0.5%Si)と称する超ジュラルミン合金を開発した。西村 教授は,もし常温時効をする合金を目標にしたら,もっと 違った方向に進んだかもしれないと述べている。

2) Sander合金

表3 Al–8%Zn–1.5%Mg–0.2%Si 合金の焼入れ温度と室 温時効特性
表3 Al–8%Zn–1.5%Mg–0.2%Si 合金の焼入れ温度と室 温時効特性

ドイツのエッセンにある Th. Goldschmidt A. G. の金属研究 所 の W. Sander は 1923 年,1924 年 Meissner と連名で Al-Mg-Si-Zn 系合金の状態図と機械的性質を発表している。 Al-Zn-Mg 系の状態図はすでに 1913 年 Eger によって発表さ れていたが,Sander と Meissner は,この三元系状態図 を再検討し,Al-MgZn2 が擬二元系をつくり,しかも溶解度 が温度とともに減少し,475°C での最大固溶度 28% から室温 の 4〜5% まで変化することがわかった。そこで MgZn2 を 4〜10% 含むアルミニウム合金をつくって常温時効性を調べた。 それらの合金の中の Al-8%Zn-1.5%Mg-0.2%Si 合金の常温時 効特性を表3 に示す。この合金はその後,Mn が添加さ れ人工時効によってさらに強力なものが得られることがわかり,Constructal 8 (Al-7%Zn-2.5%Mg-1%Mn-0.2%Si)が開発された。その引張性質は,引張強さ 590 MPa,伸び 9〜10% である。

 

西村教授もまた,「昭和 2 年(1927 年)に,西原清廉氏の 卒業論文の実験として,MgZn2 のアルミニウムに於ける固溶 度を調べるとともに,時効硬化を調べて貰ったが,焼入した試料にブリネル硬度計で窪みを造ると甚だしいときは直に,,或いは時間が経てから,その周辺に割れ目が生じて,所謂時期割れの現象を認め,この合金は使用し得ないという結論に なった。Constructal 8 も同様の現象のためだったのであろう。 使用されないで終わった。」と記している。

GP ゾーンの発見と復元現象

1) GPゾーンの発見

図 8 Guinier 教授の講義風景(左)と退職前の Preston 教授(右)(École Polytechnique の O. Hardouin Duparc 博士のご好 意により転載)
図 8 Guinier 教授の講義風景(左)と退職前の Preston 教授(右)(École Polytechnique の O. Hardouin Duparc 博士のご好 意により転載)

1930 年代になると X 線回折を用いた研究が進展してき

た。1935 年 G. Wassermann と J. Weerts により 200°C,30 分 加熱した Al-Cu 合金で平衡相の CuAl2 と違う斑点を見出し た。これは結晶構造から組成としては CuAl2 であるが,さ らに 300°C の高温に加熱すると平衡相に変化するので,平衡 相析出の途中の中間的な準安定相であると考えた。その翌 年,W. L. Fink と D. W. Smith は Debye–Scherrer 写真において 中間相の干渉線を認め,平衡相CuAl2 のθ相に対し,この新 相をθ′ と名づけた。

 

図9 Al-4%Cu合金のX線回折によるラウエ斑点と GPゾーンの存在を示す線状模様
図9 Al-4%Cu合金のX線回折によるラウエ斑点と GPゾーンの存在を示す線状模様

1938年,パリの高等師範学校(École Normale Supérieure)のA. Guinierと英国のNPLのG.D. Prestonはそれぞれ別個に,時効初期のAl-Cu合金単結晶に単色X線を照射することで,今日二人の名前の頭文字をとってGPゾーン(Guinier-Preston Zone)と呼ばれている溶質原子の集合体を発見した。図9に示すようにX線照射でラウエ斑点に異常な線状模様が出現し,この線状模様は母相の{001}面上に平面状にCu原子の偏析が生じたことによるためと同じ結論に達した。これまで曖昧であった時効初期の過飽和固溶体で生じる変化が明らかとなった。その後Guinier等は,Al-Cu合金で25~300℃までの時効処理を行い,X線の変化と硬さの関係を調べ,初期の時効変化はGPゾーンの形成と,高温の弱い硬化は中間相の析出と関連があることを明らかにした。またGPゾーンのサイズを求め,20℃時効では径50Å以下,100℃時効では150~200Å,厚みは20~100℃で4Åとしている。

2) A. J. Guinier と G. D. Preston

A. J. Guinier(1911–2000)は 1911 年フランス,Nancy で生まれた。 彼の父,P. Guinierもフランスではエコロジーの先駆者として知られている。A. J. Guinier は 1934 年,École Normale Supérieure

(ENS,高等師範学校)を卒業した後,1935 年 ENS の物理研究に移り,結晶学者の C. Mauguin 教授の指導を受けて学位を取得し,Conservatoire National des Arts et Métiers (CNAM,フランス国立工芸院)に職を得た。1944 年には CNAM に Research Laboratory を立ち上げ,1949 年には Paris 大学 (Sorbonne) の教授となり, 大学では基礎物理を教え,CNAM では X 線と金属の構造の研究を行った。その後,Orsay に University Scientific Centre を立ち上げ,これが Centre National de la Recherche Scientifique (CNRS) となっ た。その後,彼は Paris-Sud University の教授となり,フランス科学アカデミー会員であり,著名な科学者として知られている。X 線小角散乱法を用いて固体の構造解析を行い,その最初の業績が GP ゾーンの発見である。

 

G. D. Preston (1896–1972) は 1896 年に生まれ,3 歳の時に彼の父 Thomas Preston (1860 – 1900) は亡くなった。父もまた著名な物理学者で The Royal Society of London のフェローをしていた。G. D. Preston はケンブリッジ大学で自然哲学を学んだ後,1921 年, NPL の Rosenhain のもとで研究を行った。Preston は Rosenhain の指示に従い X 線回折を金属の結晶構造解析に適用することを始 めた。その一方で,Preston は Gayler 女史とアルミニウム合金の時効析出の研究を始めた。その結果が GP ゾーンの発見に繋がっ た。彼はその後,1940 年 NPL に最初の透過型電子顕微鏡を導入した。1943 年にはスコットランドにある Dundee 大学に移り,物理学部長に就任し,1944 年,The Royal Society of Edinburgh のフェローになった。詳細は O. H. Duparc 博士の “The Preston of the Guinier–Preston Zone. Guinier” (O. H. Duparc: Metall. Mater. Trans., 41A (2010), 1873.) を参照されたい。Duparc 博士は Guinier に比べて Preston がその偉大な業績にもかかわらず無視されて,人名辞典などにその名前が残されていないことを残念に思い,上記原稿の執筆となったことを書いている。

3) 復元現象

常温時効した試料を高温時効すると少し軟化してから再び硬化する現象は,初めイギリスで Gayler 女史が Al-Cu 合金で発見し発表したが,その後忘れられていた 。当初その解釈は明確ではなかったが,その後,焼入れ状態に戻る考えられた。Preston は線状模様が 200°C,10 分の熱処理で消失することから,Cu 原子の集合体(GP ゾーン)が熱処理で溶解すると結論付けている 。この現象は,独語では Rückbildung,英語では reversion,日本語では復元と訳されて いる。

 

西村教授は,Alcoa の 24S が実用化されてくると,「ジュラ ルミンははじめ Al-CuAl2-Mg2Si の準三元系として取り扱わ れたが,筆者はこれを Al-Cu-Mg 系として扱うことが合理的であると考えて,Al 側の Al-Cu-Mg 系合金の状態図を研究した。その結果 Al と平衡すべき三元化合物に S と名称を与 え,その固溶度が 24S の時効の原因をなすことを提唱した」 と述べている 。この S 相の組成比は,CuAl と Mg4Al3 を結 ぶ線上の化合物(7CuAl, 2Mg4Al3)が最も近い組織と考え,Al13Cu7Mg8 とした。その後,イギリスの Raynor らは西 村教授の提案した S 化合物を CuAl2 と Mg を結ぶ直線上の化合物になるとして Al2CuMg とした。この相の組成は,教授の分析値とほぼ一致する。S 相を考え Al-Cu-Mg 系合金の時効析出現象を解明したことは西村教授の大きな業績である。

小括

ドイツでジュラルミンが開発され,それと同じものをまず製造するところから高強度材の研究が始まった。当然,さらなる高強度材の開発が要求され,各国の研究者や技術者は開発に取り組んだ。まずは状態図の作成から始まり,固溶度の高い合金を求めて合金探索が行われた。一方で,強度を決めている化合物は何か,Al2Cu, Mg2Si, S相なのか,あるいはそれらの中間相か?室温で硬くなるのはなぜか?当初,ジュラルミンが硬くなる理由として,ジュラルミンには不純物のケイ素が多いので,Al2CuMg2Siと考えた。その結果Mg2Siを増やせば硬くなるであろうと考え,その延長上で14Sが開発された。結果論かもしれないが,西村教授の言うように最初から常温時効に寄与するS相を増やすことを考えていれば,24S の方に向かっていたように思われる。

 

 Alcoaがドイツのジュラルミンと同等の17Sの工業化 (1916) から24Sの発明(1931) まで約15年もかかっている。たかだかMg量が1%増加しただけであるが,著者は考え方の方針転換や幾つかの技術的なハードルがあったのではないかと考えている。一つ目は西村教授が指摘しているようにジュラルミンの硬化にはMg2Siが関与していると考え,ケイ素を増やすことで高強度化を図ることが優先されたことである。二つ目はケイ素が多すぎると十分な室温時効硬化が得られなかったことから,むしろ地金の高純度化を図ったのではないかと推定される。地金の高純度化の技術はこの間進歩したものと思われる。この点に関しては第三回の「日本におけるジュラルミンおよび超ジュラルミンの研究および製造技術の発展」で改めて述べる。三つ目は鋳造・圧延技術で,四つ目はジュラルミンがなかなかZeppelin飛行船に採用できなかった原因であるロール成形技術ではないかと考えている。Mg量が1%増えるだけで,鋳造が難しくなること,加工硬化で熱間加工やロール成形が容易でなくなることがあったのではないかと推察する。逆にこれを克服して24Sの工業化に成功したAlcoaの生産技術のレベルの高さにあらためて驚く。得てして,我々企業内の研究者は現状の生産設備の枠の中で材料開発を考えてしまう傾向がある。これを打破しない限り新たな発展はないということであろう。