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超ジュラルミンとは?

図1 Alcoaの材料開発の研究体制を築いたJeffries博士
図1 Alcoaの材料開発の研究体制を築いたJeffries博士

ウィルムの発明したジュラルミンは,1911年ウィルムが論文でその特性を発表すると,発明当時同じような研究をしていた英国と特許の先陣争いになりましたが,1906年に時効硬化を発見してそれを工業に生かした点でウィルムに軍配があがります。その後第一次世界大戦でツェッペリンの飛行船が活躍するにつれて,各国の軍部はその材料を入手してまずは同じものを作らせようとしました。それが米国アルコア社の17Sであり,日本では住友の住友軽銀です。これらはジュラルミンのデッドコピーであり,各国の軍部はそれに飽き足らずもっと高強度の材料を材料メーカに要求してきました。1920~1930年,合金系を問わずジュラルミンより高強度の材料を超ジュラルミンと称して世界各国で開発競争が行われました。

まずは英国のRosenhain率いるNPL (National Physical Laboratory) が1920年代先陣を切って多くの論文を発表しました。この最初が1921年英国機械学会で報告された"Eleventh Report to the Alloys Research Committee on Some Alloys of Aluminium"です。この報告書には引張強さ600MPaを越すようなE合金 (Al-20%Zn-2.5%Cu-0.5%Mg-0.5%Mn)や後年耐熱材料の基礎となるY合金 (Al-4%Cu-1.5%Mg-2%Ni),Gayler女史らによるAl-Mg-Si系合金の状態図が報告されています。Gayler女史はAl-Mg-Si系合金の研究をベースに,ジュラルミンの時効硬化は不純物として含まれているSiによるもので,Al-CuAl2-Mg2Siに分けて考え,CuAl2とMg2Siの析出硬化が寄与していると考えていました。この考え方は世界各国の研究者に大きな影響を与え,Siを含む超ジュラルミンの開発が精力的に行われました。その後1930年頃純度の高いアルミニウム地金が利用されるようになってくると,Siがなくても時効硬化を示し妥当でないことが明らかとなりました。

 

米国は米国標準局やアルコア社が中心になって研究開発が進められました。1916年アルコアは米海軍からジュラルミンと同等かより高い強度の合金開発を求められため,フランスで墜落したツェッペリンの破片を海軍から入手しました。これらの情報をもとに引張強さ440MPaを有するジュラルミンと同等なアルコア合金17S (Al-4.0%Cu-0.5%Mg-0.5%Mn) を開発しました。それまでのアルコアはエルー・ホール法の発明者ホールらが中心になってできた会社で製錬による地金生産が中心で,材料開発や加工製品の開発ができる実験設備やスタッフがいない状況でした。

 

1914年ホールが亡くなった後,アルコア社は新しいアルミニウムの市場開拓を目指して体系的な研究開発を進める中央研究所を設立することになり,1919年,Technical Departmentが設けられました。人材は当時,米国で最高級の非鉄金属の技術者を抱えているACC (Aluminum Casting Company) のLynite Laboratoriesを吸収することで手に入れました。Lynite Laboratoriesには所長のジェフリース (Z. Jeffries) がいて,彼は研究から得られた知識やノウハウを体系化し文書化すること,そして冶金学的なプロセスを正確に書き記すことで技術者がそれを見れば再現できることが必要である考えていました。

 

彼の指導のもとで,同じくACCから移籍したアーチャ(Archer)らが中心になって新合金の開発がなされました。彼らは1920年頃,Mgが含まれない25S (Al-4.4%Cu-0.8%Si-0.75%Mn)を開発し,T6材の引張強さが400MPaを示しプロペラなどの鍛造品に利用されました。Mgをなくすることで熱間鍛造性が向上します。その後,超ジュラルミンの開発に取り組み,1927年米国機械学会 (ASME) にて超ジュラルミン(Super Duralumin) という名称を最初に用いて講演したのがジェフリースだと言われています。

 

アルコア社は超ジュラルミンとしてまず二つの合金の工業化を目指しました。一つ目は17SにSiを添加したC17S (Al-4.0%Cu-0.5%Mg-1.25%Si-0.5%Mn) と二つ目は25SにMgを添加したNo.427 (Al-4.4%Cu-0.35%Mg- 0.8%Si-0.75%Mn)です。いずれもSiを含む合金です。後者は1928年正式に14Sとして発表されました。焼入れ後高温で時効処理を行うT6処理で引張強さが480MPaでしたが,伸びが13%で17Sの伸び20%に比べて低いので曲げなどが加工が難しいのが欠点でした。Siを含む超ジュラルミンが開発されたのは英国のGayler女史らの研究の影響が大きいと考えられます。

 

アルコア社は地金の面でも高純度化の研究が進み,1919年には三層式電解精製炉が完成し,99.98%の地金を製造することに成功しました。その結果,Siの少ない地金を用いても17Sも同様に高強度を示すことが明らかになると,主成分のCu, Mg添加量の影響も見直しされたものと推定されます。1931年17SのMg量を0.5%から1.5%に増やした24S (Al-4.5%Cu-1.5%Mg-0.6%Mn) が開発されました。この合金は焼入れ後室温時効させたT4処理で引張強さ480MPaで伸びは20%を示し加工性も良好なため,24Sが超ジュラルミンとしてジュラルミンに替わり米国の航空機に使用されるようになりました。航空機のスキン材としては17Sも24Sも耐食性に劣るため表面に純アルミニウムを圧延でくっつけたクラッド材が開発されました。