歴史

ジュラルミンから超々ジュラルミンまでー合金開発の歴史と今後の課題
歴史 · 2021/07/31
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「超々ジュラルミンと零戦」正誤表
歴史 · 2021/07/31
読者の皆様へ 「超々ジュラルミンと零戦」急いで出版したものでいくつか誤りが見つかりました。謹んでお詫び申し上げます。

歴史 · 2020/09/18
20世紀は航空機の発展の時代で,その航空機に欠かせなかったのはアルミニウム材料である。20世紀初頭にドイツで発明されたジュラルミンがツェッペリン飛行船に採用され,その後それよりも強度の高い超ジュラルミンが米国で開発された。しかし日本海軍はさらに強度の高い合金の開発を住友金属に要請し、五十嵐勇によって<世界最強の超々ジュラルミン>が産まれた。それを零戦主翼の桁材に採用したのが三菱重工の堀越二郎である。  太平洋戦争中、米軍は無傷の零戦を発見してその強さの秘密を徹底的に探り,主翼に超々ジュラルミンが採用されていることを見つけアルコアに同等の合金を開発させた。これが戦後航空機材料の主力となる7075合金である。本書では超々ジュラルミンの材料開発の歴史と零戦に採用された経緯を明らかにし,7075合金はじめとする戦後の航空機材料開発の進歩を明らかにする。

歴史 · 2019/03/23
西村秀雄博士:1892年京都市に生まれ,1918年7月京都帝国大学採鉱冶金学科卒業,三菱鉱業研究所に勤務後,約2ヵ年で母校に戻り,講師,助教授を経て1930年京都帝国大学教授に昇進,工学研究所長,工学部長を歴任後,1955年退官する。この間,金属材料学および金属加工学の講義および研究を担当する。退官後も財団法人応用科学研究所長として人材の育成に尽力した。奇しくも超々ジュラルミンの発明者・五十嵐勇博士と同じ年の生まれである。1962年日本金属学会賞,1963年本多記念賞を受賞,1970年日本学士院会員に選出,1968年勲二等旭日重光章が授与された。村上陽太郎博士によると「絵や書をよくされ,平素はご多忙でゆっくり絵を描かれる時間的余裕もないが,たまの日曜日にとか夏休みなど暇を作ってはお書きになる。絵をご覧になることもお好きであるので,展覧会等には研究室全部をつれて頂いて,先生からお得意のご説明を伺い,一向に知識のないわれわれにも楽しめる機会に恵まれた」とのことである。古河電工におられた田中道夫氏によると「先生がパリーに御留学中一日お宅を訪問しますと,部屋中絵であり,冶金の学者の部屋のようではありませんでした」といわれるくらい絵画や書にも造詣の深い文化人でもあった。「軽金属時代」の「軽合金史」にも自らのスケッチを掲載していた。晩年には都会の喧騒を避け,小豆島に自ら設計した「碧水居」を訪ねては随筆などの執筆,書画などの創作をした。今回参考にした「軽金属時代」に発表した膨大な「随筆 軽合金史」等々は単行本として出版される予定だったが,「軽金属時代」の廃刊によって実現しなかったとのことで残念なことである。アルミニウムのみならず金属組織学,金属加工学が学問として確立し始めた頃の議論が今でも貴重で参考になる。この随筆軽金属史を資料室・材料の歴史に8編アップロードしました。

歴史 · 2019/02/02
008年ドイツ・Archenでアルミニウム合金国際会議ICAA11が開催され,同時期にEssenでAluminium 2008が開催された。国際会議の合間にEssenに出かけ,展示物などを見学した。アルミニウムの展示物に混じって,フランスのアルミニウム歴史研究所 IHA (Institute for the History of Aluminium)が非常に珍しい歴史的に貴重なアルミニウム製の製品を展示していた。その中に左のような食器が展示されていたが,特に説明らしきものはなかった。ナポレオン三世は大変重要な相手には金や銀の食器ではなくアルミニウム製の食器でもてなしたことは非常に有名な話なので,これはナポレオン三世時代のアルミニウム製食器だろうと思っていた。しかし金色をしていたのでアルミニウムかどうかはずっと疑問であった。当時金メッキの技術はあったと思うが,アルミニウムの銀色を強調するのにわざわざ金メッキまでするとは思えなかった。

歴史 · 2018/03/07
ドイツには四つのツェッペリン博物館があることを小前ひろみ著「とってもドイツ博物館めぐり」(東京書籍,2000年)で知った。2012年から2013年にかけて,アルトピアという雑誌に12回の連載で「超々ジュラルミンと零戦」という記事を執筆していたが,超々ジュラルミンを語る前にジュラルミンあるいは超ジュラルミンとは何なのかを読者に明らかにしておく必要があった。このジュラルミンが開発されて最初に用いられたのがツェッペリン飛行船である。

歴史 · 2018/03/04
五十嵐勇博士と聞かれてお分かりになるのは,年配の方々や住友の関係者であろうと想像される。また超々ジュラルミンも同様であろうと考えられる。ジュラルミンは聞いたことはあるが超ジュラルミン,超々ジュラルミンについて正確に答えられる人は少なくなったのではないかと思われる。

歴史 · 2018/01/21
しばらくブログをご無沙汰していました。2ヶ月ぶりの更新です。6月のカナダの国際会議で講演発表するためその準備に追われていました。 最近の本で75Sについて書かれていたため,kindleで購入して読んでいます。 本は「Aluminum in America, A History」,著者はQuentin R. Skrabec, 技術史の専門家らしいと思われます。出版社は McFarland & Company, Inc., Publishers, Jefferson, North...

歴史 · 2017/11/20
アルコア社がジュラルミン17Sを開発してから超ジュラルミン24Sを開発するまで約15年かかっている。その間にもう一つの超ジュラルミン14Sの開発がある。17Sと24Sを比較すると合金成分ではMgを高々1%増やしただけの合金ではないかと。これはアルコア社だけの問題ではない。なぜ世界の材料研究者は24Sと同等な合金をもっと早く開発できなかったのかが,私の材料研究者としての研究課題であった。

歴史 · 2017/11/08
1937年10月6日,三菱重工業名古屋航空機製作所の堀越二郎は課長からカナまじりの和文タイプで打たれた一通の書類を受け取った。それは,「十二試艦上戦闘機計画要求書」であった。堀越は「この要求書は,当時の航空界の常識ではとても考えられないことを要求していた。もし,こんな戦闘機がほんとうに実現するのなら,それはたしかに,世界のレベルをはるかに抜く戦闘機になるだろう」と述べている。 堀越はこの機体の設計の問題点を四つに整理していた。第一にエンジンの決定。第二にプロペラの選択,第三に重量軽減対策,第四に空力設計,つまり機体の空気抵抗を少なくし,同時に理想的な安定性,操縦性を実現することであると。第三の重量軽減対策では,一律であった安全率の見直しや,グラム単位での重量軽減のために,「肉落とし」と称して,強度に関係のないところをくりぬくことも行われた。重量の軽減には,このほか,どのような材料を使うかということもおおいに関係がある。 従来のジュラルミンを更に改良したものか,あるいは,別のもっとすぐれた軽い金属はないだろうかを堀越が考えていたところに住友のESDとの出会いがあった。

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