ジュラルミンから超々ジュラルミンまでー合金開発の歴史と今後の課題
歴史 · 2021/07/31
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「超々ジュラルミンと零戦」正誤表
歴史 · 2021/07/31
読者の皆様へ 「超々ジュラルミンと零戦」急いで出版したものでいくつか誤りが見つかりました。謹んでお詫び申し上げます。

デモクリトスの原子論と材料学
材料 · 2021/06/16
材料の結合・構造・物性・反応を統一して議論するには,階層的には,素粒子である電子・光子にまで立ち返る必要があること,歴史的には電子と光子の変化・運動という視点が必要であること」,そのためには量子力学の基礎概念が必要であると述べている。さらに「電子と光子の変化・運動を規定し,材料の結合・構造・物性・反応を通して指導理念として働く根本概念」は「原子は空虚がなければ運動できない」とのデモクリトスの思想に行き着く。ここでいう空虚とは電子にまだ占拠されていない空席の状態を指す。空席の存在は結合では金属結合をもたらし,空席の不在は共有結合や静電結合をもたらす。

ボーキサイトの起源
原料 · 2021/06/09
1.地球の構造  地球の構造は,地球は地殻(5-70 km),上部マントル(70-670 km),下部マントル(670-2890 km),外核(2890-5150 km),内核(5150-6360 km)に分けられている。...

材料 · 2020/10/19
元素単体の個体としての強度は何で決まるか? 大学で金属の講義を受けるとまず格子欠陥の説明があり,転位(dislocation)を教わる。この転位をベースに強度理論が作られている。したがって,転位ありきの理論で転位が存在できないような共有結合性物質や転位がそもそも存在できないような高純度の金属の強度について説明できないことになる。...

歴史 · 2020/09/18
20世紀は航空機の発展の時代で,その航空機に欠かせなかったのはアルミニウム材料である。20世紀初頭にドイツで発明されたジュラルミンがツェッペリン飛行船に採用され,その後それよりも強度の高い超ジュラルミンが米国で開発された。しかし日本海軍はさらに強度の高い合金の開発を住友金属に要請し、五十嵐勇によって<世界最強の超々ジュラルミン>が産まれた。それを零戦主翼の桁材に採用したのが三菱重工の堀越二郎である。  太平洋戦争中、米軍は無傷の零戦を発見してその強さの秘密を徹底的に探り,主翼に超々ジュラルミンが採用されていることを見つけアルコアに同等の合金を開発させた。これが戦後航空機材料の主力となる7075合金である。本書では超々ジュラルミンの材料開発の歴史と零戦に採用された経緯を明らかにし,7075合金はじめとする戦後の航空機材料開発の進歩を明らかにする。

材料 · 2020/06/13
写真はAl-Zn-Mg 合金のGPゾーンである。GPゾーンというのは1936年GuinierとPrestonがAl-Cu合金が初期に硬くなる現象をX線で解析して,Cu原子がAl格子中に規則的に配列する構造を同時に発見して彼らの名前の頭文字をとって名付けられた構造のことである。Al-Cu合金ではCu原子が特定の面に沿って並ぶことが生じる。アルミニウム合金では焼入れしてから,室温に放置しておくと硬くなる現象を時効硬化と呼んでいる。硬化機構にはその他固溶体硬化,加工硬化がある。この硬化機構を化学結合(金属結合,共有結合,静電結合)の観点から説明する。

材料 · 2020/03/10
ほぼ2年前,出版社のNOVAより 「Dear Dr. Yoshida, We have learned of your published research on recrystallization and would like to invite you to participate in our publishing program. Your submission of one or more original research or review chapter(s) for our upcoming hardcover edited collection (by selected invitation only) tentatively entitled: Recrystallization: Types, Techniques and Applications The deadline for the abstract is March 10, 2018 and for the completed chapter...

歴史 · 2019/03/23
西村秀雄博士:1892年京都市に生まれ,1918年7月京都帝国大学採鉱冶金学科卒業,三菱鉱業研究所に勤務後,約2ヵ年で母校に戻り,講師,助教授を経て1930年京都帝国大学教授に昇進,工学研究所長,工学部長を歴任後,1955年退官する。この間,金属材料学および金属加工学の講義および研究を担当する。退官後も財団法人応用科学研究所長として人材の育成に尽力した。奇しくも超々ジュラルミンの発明者・五十嵐勇博士と同じ年の生まれである。1962年日本金属学会賞,1963年本多記念賞を受賞,1970年日本学士院会員に選出,1968年勲二等旭日重光章が授与された。村上陽太郎博士によると「絵や書をよくされ,平素はご多忙でゆっくり絵を描かれる時間的余裕もないが,たまの日曜日にとか夏休みなど暇を作ってはお書きになる。絵をご覧になることもお好きであるので,展覧会等には研究室全部をつれて頂いて,先生からお得意のご説明を伺い,一向に知識のないわれわれにも楽しめる機会に恵まれた」とのことである。古河電工におられた田中道夫氏によると「先生がパリーに御留学中一日お宅を訪問しますと,部屋中絵であり,冶金の学者の部屋のようではありませんでした」といわれるくらい絵画や書にも造詣の深い文化人でもあった。「軽金属時代」の「軽合金史」にも自らのスケッチを掲載していた。晩年には都会の喧騒を避け,小豆島に自ら設計した「碧水居」を訪ねては随筆などの執筆,書画などの創作をした。今回参考にした「軽金属時代」に発表した膨大な「随筆 軽合金史」等々は単行本として出版される予定だったが,「軽金属時代」の廃刊によって実現しなかったとのことで残念なことである。アルミニウムのみならず金属組織学,金属加工学が学問として確立し始めた頃の議論が今でも貴重で参考になる。この随筆軽金属史を資料室・材料の歴史に8編アップロードしました。

歴史 · 2019/02/02
008年ドイツ・Archenでアルミニウム合金国際会議ICAA11が開催され,同時期にEssenでAluminium 2008が開催された。国際会議の合間にEssenに出かけ,展示物などを見学した。アルミニウムの展示物に混じって,フランスのアルミニウム歴史研究所 IHA (Institute for the History of Aluminium)が非常に珍しい歴史的に貴重なアルミニウム製の製品を展示していた。その中に左のような食器が展示されていたが,特に説明らしきものはなかった。ナポレオン三世は大変重要な相手には金や銀の食器ではなくアルミニウム製の食器でもてなしたことは非常に有名な話なので,これはナポレオン三世時代のアルミニウム製食器だろうと思っていた。しかし金色をしていたのでアルミニウムかどうかはずっと疑問であった。当時金メッキの技術はあったと思うが,アルミニウムの銀色を強調するのにわざわざ金メッキまでするとは思えなかった。

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